自己紹介

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二人乗り自転車タンデムで夫婦世界旅行後は、長野県は白馬村へ移住。 現在は、就農し『倉リ(くらり)農園』を2019年春に開園! 農業だけでなく、古民家再生、ログハウス建築、サイクリング、スキースノボー、ボルダリング、釣り、etc,,,と新しい地で大忙しな毎日。 あ、育児も大忙し…

2014/01/10

【まとめ・あとがき】旅を終え、激動のアジアの自転車旅行を思い返してみて…

6ヶ月のタンデム自転車を使ったアジア旅行を終えて、、、、

大きな地図で2013年タンデム旅行inアジア編を見る
(今回のルート/青線が自転車赤線が公共機関) 

3章(3rd)-00-★☆★目次【3rd Season】 アジア縦断編★☆★ 
(日記、情報、その他一覧の目次)


アジアでは初めての自転車旅行。
初アジア、初海外でタイに行ったのが1998年で、以後2000年、2001年、2002年、2005年、2007年、2010年と何度も訪れているアジアだったが、自転車旅行はした事はなかった。
やっと15年越しで自転車旅行をできた訳である。

劇的な変化はないけど、物価が上がったり知ってた店がなくなったりと変化は感じる。
むしろ劇的な変化は中国の方だろう。去年あった建物は高層ビルに変わっているレベルだ。

それでもアジアや中国も田舎は全然変わっていないし、何度も行っているタイなどの田舎では、
宿が綺麗だったり食が美味しかったり新しい発見もあった。


東チベットにいたっては12年ぶりである。チベット人遊牧民が馬に乗ってなかったり、
坊さんが全員スマートフォンを扱ってたりと時代の変化を感じるが、相変わらず置かれている立場は変わっていない。むしろ悪化しているのか、、、な?
東チベットのハイライトのラルンガルゴンパだが、中国当局の監視の対象である


どこも時代の流れや政治背景はあれど、タンデムの人気っぷりはすざまじかった。
誰もが振り返り、追いかけてきたりした連中もいた。
ヨーロッパや南米ではなかった反応である。

まだまだアジアの人々は人懐っこいし好奇心旺盛だ。
 チベタン坊さんにタンデム奪われる


しかし、アジアをもう一度走りたいか?と聞かれれば、Noと答えるだろう。
ローカルな雰囲気や食、人々に出会え面白かったのだが、風景が変わらなかった要因がでかい。
一度で十分な気がする。

だったら、食は乏しくても、やはりチベットを走りたいと言いたい。
東チベットの峠にて


さて、1章北南米、2章ヨーロッパ、3章アジアときて、次はどこに行こうかな?

続く…


【過去の旅の目次一覧】

★序章ヨーロッパ(パリ-スイス-アドリア海沿い-ギリシャ)-初ヨーロッパ自転車編-2006~
★①チベット(大理-ラサ-エベレスト-カイラス-カシュガル)-チベット旅行編-2007~
★②アジア横断(カシュガル-シルクロード-トルコ-パリ)-第1 シルクロード横断編-2008~
★③EU滞在(パリ-スイス仕事-チュニジア-ロンドン仕事) -第2 EU仕事&滞在編-2009~ 
★最終章帰国(インド-東南アジア-中国/九州自転車)-第2 アジア編/九州自転車-2010~
 
新章・中南米(USA-メキシコ-パタゴニア-ボリビア)【1st Season】 -第1 中南米タンデム編-2011~ 
2章・EU(フランス-ドイツ-地中海島々-スペイン)【2nd Season】 -第2 ヨーロッパ周遊タンデム編-2012~

3章・アジア縦断(シンガータイーチベットー中国)【3rd Season】-第3-アジア縦断タンデム編-2013~



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2 件のコメント:

  1. タンデム旅行記を楽しませて頂きましたよ!

    戦乱に巻き込まれず、健康で深刻な怪我も病気もなく走り続けられたのは、当たり前のようで、実は素晴らしい偶然なのかもしれませんよー。

    また、自転車がシングルからタンデムに変わったことも、素敵なことでしょうね!

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    1. いつも読んでもらってありがとうございます。
      実は海外編は終わったんですが、しばし自転車は続きがあるんです。しかし、これからしばらくネットがなくなるので、リアルとの差が広がる…またネットが繋がったら再開します。

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