2014/04/13

【長野】日本再発見の旅。外人観光客にも人気な中山道宿場町「馬籠宿」

友人の家に一泊ご厄介になり、朝。


 うん、やっぱりいい眺め。


本日は自転車じゃなくて友人の運転でドライブです。
車って楽だナー。


19号線を車であっという間。
まずは、、、


 ここ!
寝覚めの床。

何それ?と思ったが、こんな山奥に竜宮城伝説がある。



幹線沿いのお寺から、川沿いに行きます。


 下ると、、、


 この木曽川の岩場。
 

 この岩場に伝説があるんですねぇ。


看板の説明とwiki先生によると、、、

 浦島太郎は竜宮城から地上へ帰るが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにした。旅の途中、木曽川の風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱を あけた。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまう。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように 思われた。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったという。


つまり、ここで玉手箱を開けたって事?


 さて、お次に案内してくれた場所は、中山道の宿場町。


 馬籠宿(まごめ)

昨日の木曽福島といい、昔ながらの風景が残ってます。
そういえば、行きに名古屋から乗ってきた電車で、妙に外人がこのあたりの駅で降りたなぁ、、、

外人も訪れるほど有名な観光地なんですね。
はい、知りませんですた。

でも、いいんです。
これからの旅は日本再発見の旅なんだから!


一応、wiki先生によると、、、

馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。  かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。  石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。


街道は一般車立ち入り禁止。

歩きの登っていきます。

 

 うむ!


家の中。
 



小京都ですかね?
最近は、こういう街並み見ないものな。
外人にも人気なのも納得です。



こんな施設もあった。
なるほど。

日本でwifiは観光地に行けばいいんだな。
 


小川が流れる

 馬籠の一番上まで着ました。


 いい景色!



島崎藤村の家。 


いやー、ほんと東海道にはあまり残っていない昔ながらの街並みだから、羨ましい。

東海道でもどっか、残ってる場所あるんですかね?




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